鎌倉食用蛙養殖場とは? わかりやすく解説

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岩瀬下関防災公園

(鎌倉食用蛙養殖場 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 08:56 UTC 版)

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岩瀬下関防災公園
画面左奥は上総掘りの井戸
分類 都市公園(近隣公園)
所在地
神奈川県鎌倉市岩瀬字上耕地630-1
面積 10,581平方メートル
前身 いわせ下関青少年広場
開園 2015年5月24日開園
運営者 鎌倉市
告示 2011年(平成23年)6月29日
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岩瀬下関防災公園(いわせしもぜきぼうさいこうえん)は神奈川県鎌倉市岩瀬にある公園。2015年5月24日開園。[1]

概要

鎌倉食用蛙養殖場の跡地。昭和51年より鎌倉市が地権者から土地を借り、いわせ下関青少年広場(いわせしもぜきせいしょうねんひろば)の名称で公園を整備・提供していたが[2]、2011年(平成23年)、鎌倉市が土地を取得し「岩瀬下関防災公園」として再整備されることとなった[3]。本項では鎌倉食用蛙養殖場および、いわせ下関青少年広場についても併せて記載する。

歴史

鎌倉食用蛙養殖場

鎌倉食用蛙養殖場は大正9年(1920年、大正10年説もある)に渡瀬庄三郎の弟子、河野卯三郎によって作られた食用蛙(ウシガエル)の養殖場である。ウシガエルは欧米への輸出品目になり、周辺農家の貴重な現金収入となり養殖場は栄えた。最盛期には3000程度の敷地面積を持っていたともいう。 しかし、1938年7月の大雨による洪水により多くのカエルが逃亡し、養殖場の付近を流れる砂押川を経て広まった。ただし食用蛙の養殖場は当地以外にも存在し、それらから逃亡した蛙も多く、日本にいるすべての個体がこの養殖場を起源とするわけではない。

また昭和2年(1927年、これも大正15年・昭和5年など異説がある)にはウシガエルの餌としてアメリカザリガニが投入され、これらも同様の経緯で広まっていった。

養殖場自体は太平洋戦争に先立つ欧米諸国の禁輸政策によって輸出がたち行かなくなり、1940年代前半には閉鎖された。

いわせ下関青少年広場

昭和51年(1976年)より鎌倉市が同地を地権者より借り受け、公園として整備を行った。

2001年には鎌倉市内の市民団体「鎌倉市民同窓会」が主体となり、敷地内に井戸が掘られた。井戸は「千葉県立上総博物館」(現「木更津市郷土博物館金のすず」)などの協力を受け上総掘りという手法が用いられ、10ヶ月の期間を掘削費やした結果、湧水を掘り当てることに成功した。[4]井戸から湧く水は自由に使え、地域住民が飲料水をくみに来る姿を見ることができる。

岩瀬下関防災公園

2011年(平成23年)、鎌倉市が土地を取得し「岩瀬下関防災公園」として再整備されることとなった。整備にあたっては都市再生機構と協定を結び、都市再生機構の防災公園街区整備事業として整備が進められ、2015年5月24日に開園式が行われた。[1]

関連項目

設備

平時は公園として使用されるが、災害時には緊急避難が行えるよう工夫がされている。公園のベンチは台座部がかまどとして使え、あずまや天幕をかぶせることにより、非常用テントとなる。また、多数存在するマンホールは仮設トイレとして使用できるようになっている。また、上総掘りの井戸は非常用の水源として活用する事が想定されている。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b UR都市機構 (2015年5月24日). “鎌倉市の岩瀬下関(いわせしもぜき)防災公園が開園”. 2015年7月19日閲覧。
  2. ^ 納所てるつぐ (2015年5月24日). “岩瀬下関防災公園が開園しました。”. 2015年7月19日閲覧。
  3. ^ 岩瀬下関防災公園(鎌倉市)
  4. ^ 北鎌倉湧水ネットワーク (2002年6月29日). “湧水公園、待望のオープンへ―湧水都市への夢膨らむ―”. 2015年7月19日閲覧。

鎌倉食用蛙養殖場

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岩瀬下関防災公園」の記事における「鎌倉食用蛙養殖場」の解説

鎌倉食用蛙養殖場は大正9年1920年大正10年説もある)に渡瀬庄三郎弟子河野三郎によって作られ食用蛙ウシガエル)の養殖場である。ウシガエル欧米への輸出品目になり、周辺農家貴重な現金収入となり養殖場栄えた最盛期には3000程度敷地面積持っていたともいう。しかし、1938年7月大雨による洪水により多くカエル逃亡し養殖場付近流れ砂押川経て広まった。ただし食用蛙養殖場当地以外にも存在し、それらから逃亡した多く日本にいるすべての個体がこの養殖場起源とするわけではない。 また昭和2年1927年、これも大正15年昭和5年など異説がある)にはウシガエルの餌としてアメリカザリガニ投入され、これらも同様の経緯広まっていった。 養殖場自体太平洋戦争先立つ欧米諸国禁輸政策によって輸出がたち行かなくなり1940年代前半には閉鎖された。

※この「鎌倉食用蛙養殖場」の解説は、「岩瀬下関防災公園」の解説の一部です。
「鎌倉食用蛙養殖場」を含む「岩瀬下関防災公園」の記事については、「岩瀬下関防災公園」の概要を参照ください。

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