銃撃事件・没後とは? わかりやすく解説

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銃撃事件・没後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:53 UTC 版)

中村哲 (医師)」の記事における「銃撃事件・没後」の解説

2019年12月4日アフガニスタン東部ナンガルハル州州都ジャラーラーバードにおいて、車で移動中に何者かに銃撃を受け、右胸に一発被弾した。負傷後、現地病院搬送された際には意識があったが、さらなる治療の為にパルヴァーン州バグラームにあるアメリカ軍バグラム空軍基地搬送される途中で死亡した。なお、中村と共に車に同乗していた5名(運転手警備員など)もこの銃撃により死亡した中村襲撃されたこの事件に対してターリバーン報道官声明発表し組織関与否定一方でアフガニスタン大統領アシュラフ・ガニーは「テロ事件である」とする声明発した12月7日カブール空港追悼式典が行われたのち、遺体空路日本搬送された。追悼式典では大統領アシュラフ・ガニー自らが担いだ告別式12月11日福岡市中央区斎場営まれた。親交のあった上皇夫妻秋篠宮夫妻などからも弔意寄せられバシール・モハバット駐日アフガニスタン大使久保千春九州大学長らが弔辞読んだ中村同様にアフガニスタンへ医療支援目的とするNPO法人カレーズの会を率いていたアフガニスタン系日本人医師レシャード・カレッドは、中日新聞取材に応じて生前中村について「互い活動励まし合い相談し合う関係」であった述べ、「寡黙男らしく、優しい九州男児絵に描いたような人だった」と中村人柄述懐して冥福祈った福岡県警刑法国外犯規定に基づき殺人容疑捜査進めており、司法解剖結果死因肝臓損傷による失血死とみられる発表した

※この「銃撃事件・没後」の解説は、「中村哲 (医師)」の解説の一部です。
「銃撃事件・没後」を含む「中村哲 (医師)」の記事については、「中村哲 (医師)」の概要を参照ください。

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