鉄道貨物輸送時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 02:36 UTC 版)
明治33年に、野田町の工場と江戸川を結ぶ野田人車鉄道が設立され、トロッコで醤油70樽2トンが運搬されていた。 明治末期に、野田~柏間で千葉県営軽便鉄道が開通。 人車鉄道も大正2年に野田町駅構内まで路線延長した。人車鉄道は大正6年に設立された野田醤油株式会社の運輸部門として活動していた。 大正11年に野田醤油醸造組合は、北総鉄道株式会社を設立する。船橋~柏間は、大正12年の12月に営業開始した。 大正13年10月に、船問屋に野田醤油が加わり、船舶を本業とする野田運輸合資会社と、東京野田屋合名会社が合同で野田運輸株式会社を設立し、当社の創立となった。 営業内容は、船舶輸送事業と自動車運送事業に及んでいた。 大正14年に野田人車鉄道を営業廃止。 北総鉄道は大正15年に社名を総武鉄道株式会社と改めた。 野田から大宮までの路線延長と同時に電化も開始。大宮~船橋間が全線開通となり、大宮~柏間は電車が走った。 昭和17年、野田運輸株式会社は總武通運株式会社へ社名変更。 政府は昭和19年に、総武鉄道の東武鉄道への企業合併を強制し、東武野田線となったが、生活必需品である醤油が主力であった野田の当社は戦災を受けずに済んだ。
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