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鈴木美通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/08 08:18 UTC 版)

鈴木美通

鈴木 美通(すずき よしゆき、1882年明治15年)9月2日[1][2] - 1956年昭和31年)3月14日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将功三級[3]

経歴

山形県出身[1][2][3]山形中学を経て、1902年(明治35年)11月、陸軍士官学校(14期)を卒業[1][2][4]1903年(明治36年)6月、歩兵少尉に任官し歩兵第32連隊付となる[1][4]1911年(明治44年)11月、陸軍大学校(23期)を卒業[1][2][3]

1911年12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、参謀本部付を経て、1916年(大正5年)11月、歩兵少佐に昇進し歩兵第1連隊大隊長に就任[1]1918年(大正7年)6月、陸大教官に転じ、関東軍司令部付に異動[1]1921年(大正10年)4月、歩兵中佐に進級[1]。同年7月、吉林督軍軍事顧問に就任し、1923年(大正12年)8月、歩兵大佐に昇進した[1][3]

1924年(大正13年)3月、歩兵第62連隊長に移り、歩兵第2連隊長、参謀本部課長、陸大教官を歴任[1][3]1929年(昭和4年)8月、陸軍少将に進級し関東軍司令部付(奉天特務機関長)に就任[1][2][3]1931年(昭和6年)8月、歩兵第4旅団長となり満州事変を迎え、混成第4旅団長として出動[1][2][3]1933年(昭和8年)8月、陸軍中将に進み支那公使館付武官に就任[1][2][3]1934年(昭和9年)11月22日発表の論功行賞において、功三級勲一等旭日大綬章、元歩兵第四旅団長として掲載され、新聞各社の号外等により報道された[5]

1935年(昭和10年)3月、第19師団長に親補された[1][2][3]1937年(昭和12年)3月、予備役に編入[1][2][3]1941年(昭和16年)12月、新民会副会長となり、さらに同会最高顧問を務めた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

栄典

親族

  • 娘婿 登坂進(陸軍大佐)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『日本陸海軍総合事典』第2版、87-88頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『日本陸軍将官辞典』401-402頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』185頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』183、185頁。
  5. ^ 藤本尚則『第八師團に輝く行賞』(東京朝日新聞社、1934年11月22日号外)一面及び二面
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」138頁。
  7. ^ 『官報』第3096号「叙任及辞令」1937年5月3日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



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