金蔵院 (横浜市神奈川区)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/23 04:56 UTC 版)
| 金蔵院 | |
|---|---|
| |
|
| 所在地 | 神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-4-3 |
| 位置 | 北緯35度28分34.3秒 東経139度38分1.3秒 / 北緯35.476194度 東経139.633694度座標: 北緯35度28分34.3秒 東経139度38分1.3秒 / 北緯35.476194度 東経139.633694度 |
| 山号 | 神鏡山 |
| 宗派 | 真言宗智山派 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 1087年 |
| 開基 | 勝覚 |
| 正式名 | 神鏡山東曼荼羅寺金蔵院 |
| 札所等 | 玉川八十八ヶ所霊場第3番、東国八十八ヵ所霊場第20番 |
| 公式サイト | 金蔵院 |
金蔵院(こんぞういん)は神奈川県横浜市神奈川区にある真言宗智山派の仏教寺院で、正式名称は、神鏡山 東曼茶羅寺(しんきょうざん とうまんだらじ)。大本山智積院の直末で、準別格本山である[1]。
本尊
寺名
胎蔵界と金剛界の両界曼荼羅を有していたことに由来する[1]。
歴史
- 1087年(寛治元年)醍醐寺三宝院を開いた勝覚が開基[1]。(真言宗醍醐派)
- 1599年(慶長4年)徳川家康以来、歴代将軍から寺領の朱印状を付与された[1]。
- 1712年(正徳2年)起源を同じくし別当をしていた熊野三社(熊野神社)を権現山から境内へ遷宮[1]。
- 1812年(文化9年)文化神奈川地震で鐘樓が倒壊、1852年(嘉永5年)に梵鐘を再鑄[1]。
- 1865年(慶応元年)伽藍を再建[1]。
- 1868年(慶応4年)神奈川大火で熊野三社が類焼、神仏分離により境内を分けて復興[1]。
- 1894年(明治27年)智積院の末寺となる[1]。(智山派)
- 1916年(大正5年)庫裡を新築するも、1923年(大正12年)の関東大震災で庫裡・鐘樓が倒潰、1928年(昭和3年)までに再興した[1]。
- 1945年(昭和20年)横浜大空襲で悉く焼失。
境内
- 本堂 - 1967年再建。
- 山門 - 1968年再建。
- 地蔵堂
- 金蔵院会館
- 御手折梅 - 徳川家康が愛で、来訪時には必ず一枝を手折って持ち帰ったといい、以来毎年正月に一枝を徳川宗家へ献上していた古木の紅梅。1927年に枯死し、現在は4-5代目になっている。[2]
所在地・交通
神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-4-3
脚注と出典
- ^ a b c d e f g h i j k 『横浜市史稿 仏寺編』第4章仏寺各説 第2節 真言宗 第2項 新義真言宗(智山派) 1「金蔵院」(横浜市役所 1932年)NDLJP:1213532/218
- ^ 『横浜の伝説と口碑 下』恒例献上の紅梅(横浜郷土史研究会、1930年)NDLJP:1456827/20
関連項目
外部リンク
- 金蔵院_(横浜市神奈川区)のページへのリンク