金田一分類への奥田靖雄の批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 06:38 UTC 版)
「語彙的アスペクト」の記事における「金田一分類への奥田靖雄の批判」の解説
金田一分類から27年後の1977年に奥田靖雄は「アスペクトの研究をめぐって一金田一的段階一」を書き「アスペクトの理論的な研究において,まずはじめに考慮しておかなければならないことは,hanasite-iru,kaite-iru,aruite-iru,odotte-iru,aratte-iruのような形態論的なかたちが動詞のアスペクトであるとすれば, hanasu,kaku,aruku,odoru,arauのような, suruで代表される形態論的なかたちもアスペクトであって,これらの,ふたつのかたちが《つい》をなしながら,oppositionalな関係のなかにある,という事実である。ところが,金田ーから吉川にいたるまでの研究においては,この事実はまったくといってよいほど無視されている」と述べ金田一の研究を批判した:19。 奥田靖雄の主張は三上章の分類に酷似しているが、三上との違いは奥田が徹底した形態主義から「ある」「いる」をも完成相に含めた点と三上が言及しなかった「した」と「していた」にもアスペクトの対立を見た点にある。しかし、工藤真由美に代表される奥田説の後継者たちは「ある」「いる」をperfectiveと見做していない。とすれば、奥田説の現行版は「した」と「していた」の対立を除けば三上章の分類そのままである。 金田一が行なったのは本項目で解説する語彙的アスペクトの研究であり、奥田の批判は文法的アスペクトに基づく。文法的アスペクトはスラブ語の研究により欧州の言語学に持たさられたものである。完結相(perfective)と不完結相(imperfective)の対立は三上章が指摘するように1950年代の日本でも知られていた。語彙的アスペクトの概念は後述するように英語圏ではヴェンドラーの1957年の論文が嚆矢とされるが、それよりも早く金田一春彦が同様の着想を得ていた。なお、金田一の「国語動詞の一分類」は東京大学国語国文学会の『国語と国文学』に投稿し「掲載に値せず」として返却されたものを後に勤務先の名古屋大学の紀要に発表したものである。奥田のいう「金田一的段階」は実は、完成相と不完結相の対立という従来の研究対象の文法的アスペクトから転じて、新たに動詞の語彙的意味に内包されるアスペクトに注目した点で、言語学の歴史の先駆けとなる「新しい段階」であった。
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