量産・ライセンス生産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:52 UTC 版)
「ファルマン III」の記事における「量産・ライセンス生産」の解説
数々の競技会出場や記録樹立などの影響もあり、当時ファルマン社には、イギリス・ドイツ・デンマーク・日本・ベルギーなど国外からの注文や視察・買い付けなども殺到し始めた。特に1910年型のファルマンIIIは合計130機が生産され、うち75機はフランス国外に販売された。 さらに、フランスのファルマン社以外でも当機のライセンス生産または(ライセンスの無い)複製機が各国で作られ、細部はそれぞれ独自に改良が加えられた。中でもイギリスでライセンス生産されたブリストル ボックスカイト(箱凧の意)や、ドイツのファルマン・アルバトロスなどは広く知られている。当時のロシアでも軍の標準の飛行機として当初ファルマンIIIを採用する予定だったが、実際には後続の型ファルマンIVが大量に採用された。雪深い気候のため車輪の下にスキーを履いたものや、骨組にはパイン材の替わりに竹を使ったものなど、独自の変遷がみられる。 こうしてファルマンIIIは各国で当時のベストセラーとなり(アメリカのライトフライヤー号などとならび)、第一次大戦以前のヨーロッパ機としては最も広く知られた機種となった。 初の戦争使用 1911年(明治44年)10月23日、イタリア・トルコ戦争(伊土戦争)中のリビアでは、ファルマンIIIが空中写真による前線偵察を行う写真偵察機として使用された。これは歴史上初めて飛行機が戦争で使用された例として知られる。(一方、厳密にはこれはブレリオ XI(Blériot XI)機による前日の22日が最初とする記述もある。)
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