野谷村とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 野谷村の意味・解説 

野谷村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/08 15:23 UTC 版)

のだにそん
野谷村
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 新設合併
野谷村、馬屋上村 → 津高村
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
御津郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 19.8 km2
総人口 2,538
国勢調査、1950年)
隣接自治体 岡山市、馬屋上村、横井村御津町一宮町
野谷村役場
所在地 岡山県御津郡野谷村大字栢谷
旧・野谷村役場庁舎位置
(現在の野谷幼稚園付近)
座標 北緯34度43分53秒 東経133度54分13秒 / 北緯34.731278度 東経133.903625度 / 34.731278; 133.903625座標: 北緯34度43分53秒 東経133度54分13秒 / 北緯34.731278度 東経133.903625度 / 34.731278; 133.903625
特記事項 村役場は合併後、津高村役場として使用[1]
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

野谷村(のだにそん)は、岡山県御津郡にあった自治体である。1900年(明治33年)3月31日までは津高郡に属していた。

概要

現在は岡山市北区津高地域北部の栢谷・菅野・吉宗・高野に当たる。村名は菅野の「野」と栢谷の「谷」から取った合成地名である[2]

古くは備前国津高郡津高郷に属したが、平安時代後期に津高庄に属し、一時期京都の東寺領になったとされる。その後宇喜多氏慶長5年に小早川秀秋の支配を経て、慶長8年から岡山藩領となり明治維新に至った[1]

明治維新時には栢谷村・益田村・辛香村・菅野村(枝村の西菅野村)の村落があった[1]

栢谷村は1875年明治8年)に同村出身の山内善男と大森熊太郎が官有林の払い下げを受けて開墾し、荒れ地でも育つブドウの栽培に挑戦した。1880年(明治13年)に開設された播州葡萄園に毎年のように通い、その後県内初のガラス温室を建設して本格的なブドウ栽培を開始した。現在はマスカット・オブ・アレキサンドリアの一大産地となっている[3]。また字苫田には古くから栢谷温泉として冷泉が湧出しており、これを再開発して苫田温泉と名付けた[4]

菅野村は元は東菅野村と称し、東菅野村と西菅野村がそれぞれ一村を成していたがいつの頃からか西菅野村は枝村になったとされる[5]

益田村は元は吉宗村と称したが、享保元年(1716年)に徳川吉宗が第8代征夷大将軍となったことによりその諱を憚って改称した[6]

沿革

  • 明治4年1月 - 益田村が再び吉宗村に改称する[1]
  • 1875年(明治8年)12月27日 - 菅野村(枝村の西菅野村を含む)と辛香村が合併して菅野村となる[1]
  • 1883年(明治16年)2月15日 - 連合戸長役場制度発足。津高郡第六部戸長役場を栢谷村に設置し、同村・吉宗村と、横井上村・田益村(後の横井村)を管轄。また津高郡第八部戸長役場を菅野村に設置し、同村および田原村・日応寺村(後の馬屋上村)を管轄[1][7]
  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制の施行により、栢谷村・吉宗村・菅野村の3村が合併して村政施行し、野谷村が発足。旧村名を継承した3大字を編成し、役場を栢谷に設置[2]
  • 1900年(明治33年)4月1日 - 津高郡と御野郡が合併し御津郡となる。
  • 1953年昭和28年)7月1日 - 隣接する御津町(旧牧山村)大字高野のうち中野(廃藩置県当時の中野村の範囲)を編入し、4大字となる[1][7]
  • 1955年(昭和30年)3月31日 - 馬屋上村と合併して津高村が発足。同日野谷村廃止。

行政

歴代村長

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
森芳滋 1889年(明治22年)8月1日 1893年(明治26年)4月22日
2 坂野正愛 1893年(明治26年)5月2日 1897年(明治30年)5月1日
3 中山辰四郎 1897年(明治30年)6月15日 1901年(明治34年)6月14日
4-6 森芳近 1901年(明治34年)6月18日 1913年(大正2年)6月17日
7-10 河田伴一郎 1913年(大正2年)6月18日 1929年(昭和4年)6月17日
11 坂野鉄次郎 1929年(昭和4年)7月23日 1931年(昭和6年)9月4日 退任後、貴族院議員となる
12-14 市川寿治 1931年(昭和6年)9月8日 1943年(昭和18年)9月7日
15 河本一夫 1943年(昭和18年)9月9日 1946年(昭和21年)9月20日
16 小河等隆 1947年(昭和22年)4月5日 1951年(昭和26年)4月4日
17 小河等隆 1951年(昭和26年)4月23日 1955年(昭和30年)3月30日 合併後、津高村長に就任
参考文献 - [1]

教育

  • 学校組合立野谷小学校(現・岡山市立野谷小学校)[8]
  • 御津郡野谷村外2か村学校組合立香和中学校(現・岡山市立香和中学校

交通

東の半田山山麓にあった旧作州街道(津山往来)が1887年(明治20年)に村域の平地に移され県道となり、1921年(大正10年)に国道に編入された[4]。現在は岡山市道伊島町二丁目吉宗線となっている。

出身者

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h 岡山県市町村合併誌 市町村編403-415頁(岡山県、1960年)
  2. ^ a b 角川日本地名大辞典 岡山県「野谷村(近代)」
  3. ^ マスカット創始者のものがたり岡山シティミュージアム
  4. ^ a b 角川日本地名大辞典 岡山県「栢谷(近代)」
  5. ^ 角川日本地名大辞典 岡山県「菅野村(近世)」
  6. ^ 角川日本地名大辞典 岡山県「吉宗村(近世)」
  7. ^ a b 岡山県市町村合併誌 総編(岡山県、1960年)
  8. ^ 学校の歴史(岡山市立野谷小学校)
  9. ^ 野谷学区連合町内会

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  野谷村のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「野谷村」の関連用語

野谷村のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



野谷村のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの野谷村 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS