酒が米内か、米内が酒か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:46 UTC 版)
米内は酒が非常に強く、「酒が米内か、米内が酒か」とまで言われていた。かなりのハイペースで飲みいくら飲んでも顔色一つ変えず、淡々と飲んでいたという。 総理大臣の時に満州国の皇帝・愛新覚羅溥儀が日本を訪れた際に米内の酒の量が話題になり、「満州語に『海量(ハイリャン)』という言葉がある。米内の酒の量は『海量』か」と尋ねたところ、高松宮宣仁親王が「いえ、米内は『洋量(ヤンリャン)』です」と返したエピソードがある。また、銀座の芸者衆の間で「米内さんを酔っ払わせたら懸賞金を与える」という話が広まり、酒に自信がある芸者が何人も挑戦したが米内を酔わせることができず、芸者は米内の前で号泣して悔しがったという。 酔っ払うことはほとんどなかったが、ほろ酔い加減になると長唄の調子が棒読みになったともいう。また米内自らロシア駐在時代に酔ってロシア水兵に演説をしたことを語り、「私が演説するくらいなので、相当酔っていたのでしょう」と言ったこともある。保科善四郎は「米内さんにとって酒は食べ物だった」と回想している。 海軍料亭などで飲む際には二升・三升は当たり前のように飲むと料亭の女将達からも言われていた。若い頃は自ら「俺は時には二升・三升あるいはそれ以上を平気で飲む事があった。しかし家に帰っておふくろの蒲団を敷くまでは乱れないでいる。ところが敷き終わって自分の部屋に帰ったら最後、酔いが廻って前後不覚になってしまうんだ。それまではいくら飲んでも気持ちはしゃんとしているんだけれどね」と話す事があった。
※この「酒が米内か、米内が酒か」の解説は、「米内光政」の解説の一部です。
「酒が米内か、米内が酒か」を含む「米内光政」の記事については、「米内光政」の概要を参照ください。
- 酒が米内か、米内が酒かのページへのリンク