郵政造反による自民党離党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 05:47 UTC 版)
2005年の郵政国会では、安倍晋三自民党幹事長の再三の説得にも応じず、郵政民営化法案の採決において小泉純一郎首相の出身派閥である森派(清和会)所属の国会議員で唯一反対票を投じた。 直後の第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず無所属で出馬するが、刺客として送り込まれた自民党公認の片山さつきに748票の僅差で敗れ、落選した。選挙後、離党勧告を受け、自民党を離党し、拓殖大学客員教授を務めた。 2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に静岡7区から再び出馬し、前回敗れた片山や民主党新人の斉木武志を下し、国政に復帰した。 2009年9月15日、平沼赳夫、小泉龍司と共に「国益と国民の生活を守る会」を結成した。2010年4月10日に結党した、平沼を代表とする政党「たちあがれ日本」には、地元後援会の調整を理由に参加せず、小泉龍司と共に「国益と国民の生活を守る会」に残留(同会会長は小泉が引き継いだ)。同年9月12日、自民党静岡県第7選挙区支部が復党要請を行う方針を固めた。
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