遼寧省での活動
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1984年10月、遼寧省に転出して同省金県党委員会副書記となる。その後、遼寧省大連市金州党委員会書記、大連市経済技術開発区党委員会書記などを歴任。1988年2月、大連市党委員会宣伝部長兼市党委常務委員となる。翌年3月、大連市党委員会常務委員兼常務副市長に就任。1992年8月、大連市党委員会副書記兼市長代理となり、翌年3月、大連市長に昇格。同月、第8期全国人民代表大会遼寧省代表(議員)に選出。以後、第9期(1998年 - 2003年)・第10期(2003年 - 2008年)と全国人民代表大会遼寧省代表として再選される。1999年9月には遼寧省党委常務委員・大連市党委員会書記兼市長に昇進。大連市長在任中は環境政策に力を注ぐ一方、日本企業など外資を呼び込んで地元経済の発展に力を尽くした。2000年8月、大連市長を退き、遼寧省党委員会常務委員・大連市党委員会書記の職に専念する。2001年1月、遼寧省党委員会副書記に就任し、1月10日の同省第9期人民代表大会常務委員会第20回会議において同省副省長・省長代理に選出され、2月24日、正式に遼寧省長となる。2002年11月、第16回党大会において党中央委員に選出される。薄熙来はこの年、瀋陽などで暴力を用いて他人の財産を奪い、中国東北部で巨万の富を得た劉湧を拘束し、処刑した。薄は暴力団と民間企業の癒着を許さず、徹底して摘発していき民衆の支持を得た。遼寧省での経験は、積極的な外資導入による経済発展と暴力団に対する厳格な姿勢といった薄の政治姿勢を涵養し、後に赴任する重慶市での施政でも活かされることになる。
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