運動の流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 07:38 UTC 版)
「ティーパーティー運動」の記事における「運動の流れ」の解説
最初に「ティーパーティー」という歴史用語をアメリカ政治に蘇らせたのは、アメリカ合衆国下院議員のロン・ポールであった。それは2007年12月16日のことで、彼はボストン茶会事件232周年を祝う集会を開催し、翌年の共和党大統領予備選の資金集めのためにウェブサイトを開設して、支持者や活動員、献金を募ったのである。 この日のデモ集会は支持団体のある各州でも行われ、茶箱を模した箱には、IRSやUN、国債、NAFTA、WTO、愛国者法などと書いてあって、川に投げ込まれた。これらは現在のティーパーティー運動の要求項目とは少し違うが、ポールが廃止撤廃を求めているものである。彼は熱心な小さな政府論者で、当時のブッシュ政権の方針にも反対していた。 結局、ポールは2008年の大統領予備選で敗れたが、次の2012年の共和党指名候補に立候補して、”彼のティーパーティー”は、インターネットを活用した草の根運動というところなど、運動の雛型にもなった。ロン・ポールは運動の思想的な後見人とも言われ、そのリーダーの1人である。(関連話)
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