近鉄百貨店へのリブランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 14:29 UTC 版)
「岐阜近鉄百貨店」の記事における「近鉄百貨店へのリブランド」の解説
中林仁一郎の長男で丸物社長だった中林仁良と近畿日本鉄道出身の副社長・橋本達吉の間で店名変更に合意したため、1977年(昭和52年)5月27日に商号を京都近鉄百貨店へ変更して、当店は同社の岐阜店となった。近鉄百貨店(本社:大阪市阿倍野区)の直営店ではなかったが、近鉄百貨店と呼ばれるようになり、以降は近鉄百貨店と同じロゴマークなどを用いた。案内上は「岐阜近鉄百貨店」「岐阜近鉄」などの名称を使用するようになった。 また、12月には当店の北西に専門店ビル「近鉄アミコ」を開業している。 この頃の当店周辺は岐阜髙島屋に加え、「山勝百貨店」を買収したセゾングループが運営する「岐阜パルコ」など大型店が周囲に集まっている。繊維産業の客にも支えられ、柳ヶ瀬商店街は名古屋市からも買い物客が来るほど賑わっていた。 1981年(昭和56年)9月14日には3・4回の第一次リフレッシュが完成し、1983年(昭和58年)9月14日まで断続的に改装を行っていった。1987年(昭和62年)2月期には157.5億円を売り上げ、翌2月期は約162億円の売上を目指した。
※この「近鉄百貨店へのリブランド」の解説は、「岐阜近鉄百貨店」の解説の一部です。
「近鉄百貨店へのリブランド」を含む「岐阜近鉄百貨店」の記事については、「岐阜近鉄百貨店」の概要を参照ください。
- 近鉄百貨店へのリブランドのページへのリンク