近江蒲生氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 08:26 UTC 版)
蒲生氏(がもうし)は、日本の氏族の一つ。中世以降藤原北家秀郷流を称し、近江国蒲生郡を中心に勢力を築いた。 室町時代には近江国の守護大名となった六角氏に客将として仕えた。 戦国時代の初期の蒲生貞秀は、守護の六角高頼をよく補佐し、六角氏の戦国大名化に貢献したが、嫡男の秀行が早世したため、その死後に嫡孫の蒲生秀紀と子の蒲生高郷との間に争いがおき、高郷が勝利し以後は高郷系が当主として続いた。 高郷の子の蒲生定秀は六角氏の宿老として活躍するが、蒲生賢秀の代に六角氏が織田氏に滅ぼされると、蒲生氏は織田氏に属し、賢秀の子である蒲生氏郷が織田信長の娘婿に迎えられるなど重用されたため、織田政権とそれを継承した豊臣政権において蒲生氏は大大名として大きく躍進した。 しかし、名将として知られた氏郷が若くして没した後も当主の夭折が続き、徳川幕府の大名として存続することには成功したものの、孫の蒲生忠知の代に後継がなく蒲生氏は断絶した。
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