蒲生忠知にまつわる怪奇話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 06:32 UTC 版)
「蒲生忠知」の記事における「蒲生忠知にまつわる怪奇話」の解説
忠知の死により近江蒲生氏の系統は断絶したが、これは祟りが遠因となったという巷説がある。 忠知が藩主の座を継いで以降、世継ぎの男子が生まれないまま時を重ねていたが、やがて藩内の妊婦に憎悪を向けることとなり、妊婦を捕まえては腹を割き、母子共々殺害するという惨劇を繰り返していたという。非業の死を遂げた妊婦の怨念により、蒲生家は断絶に至ったと伝えられ、その証拠として松山城には「まな板石」なる物が残され、城址公園となった今でもすすり泣く声が聞こえるという(ただし、姫路城の「御菊井戸」など、城郭にはこの手の話がついてまわることは考慮せねばなるまい)。
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