近代の養蜂箱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 01:09 UTC 版)
近代的なデザインの養蜂箱は、19世紀に最初に現れるが、そこへの移行段階は18世紀に既に見られる。 移行過程については、1768年から1770年にThomas Wildmanによって、以前の方法と比べて、蜂蜜を採取するのにハチを殺す必要がないところが利点だと記されている。例えばWildmanは、藁の巣の上下に平行に木の棒をわたし、ハチがハニカムを作りやすいようにした。 1814年、ウクライナで最初に商業的な養蜂を始めたPetro Prokopovychは、巣脾を初めて発明した。操作は簡単になったが、巣脾の間の適切な距離を決める必要があった。その距離は、1845年にJohann Dzierzonによって、1/2インチであると記された。1848年、Dzierzonは巣箱の横板に溝をつけ、そこで巣脾を固定する方法を紹介した。「ラングストロスの巣箱」はDzierzonの巣箱のデザインを継承したもので、移動可能な巣脾を備え上部が解放された初めての巣箱だった。 「ラングストロスの巣箱」は、ハニカムを支える移動式の巣脾を上部の棒で支える構造をしている。これにより、養蜂家は病気や寄生虫を検査することができ、また、新しいコロニーを作るために簡単に巣を分けることもできる。 スロベニアでは18世紀から養蜂箱の板は通例は柔らかい木で作られていて、油絵の具で描かれている。
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