軍記作品とは? わかりやすく解説

軍記作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/12 08:04 UTC 版)

高知県の文学史」の記事における「軍記作品」の解説

社会安定取りもどし、一方で戦国時代記憶がさほど遠いものではなかった近世初頭土佐では長宗我部氏興亡取材した数多く軍記近年国文学研究では「近世実録」という名称が行われることもある)が制作された。 近世期古い作品としては、長宗我部元親仕えたという高島孫右衛門正重)が、その三十三回忌つくったという『元親記』(1631年)があり、元親一代事跡述べて余すところがない。同じく元親に仕えた立石助兵衛(正賀)に、やや遅れて長元記』(1659年)があるが、こちらは元親の事跡一つ書き列挙してゆくもので、『元親記』に比べ文学性は低い。さらにまとまった作品として、作者不詳土佐軍記』(一名四国軍記』)があり、元禄13年1700年)に版本が行われるに至った。『四国軍記』は版行の際に書肆のつけた書名である。このほか、地誌兼ねた書物として『土佐古城伝承記』(作者不明)がある。 これら一連の軍記作品中、質量ともにその白眉となすべきは吉田孝世土佐物語』(1708年であろう本書土佐一条氏下向から長宗我部盛親刑死までを描いた土佐一国戦国時代通史軍記軍記で、作者長宗我部元親仕えて勇名馳せた吉田重俊5世の子孫である。戦国時代高知については史料不足する点も多く、『土佐物語』は歴史書としても重要な位置占めるものである。 このほか、やや特殊な作品としては『おあむ物語』(正徳 - 享保成立か)がある。これは、近江国武将山田去暦の娘で、1601年慶長6年土佐来住して歿した「おあん」という老女戦場経験をまとめたもので、関ヶ原の戦いの折の大垣城籠城脱出様子詳細に語られている。当時戦場における女性の生活をうかがいうる好資料であり、谷崎潤一郎武州公秘話』の種本となったことでも知られる。また口語資料としても一見の価値ある作品である。

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