軍情報部
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「ウォルフガング・ロッツ」の記事における「軍情報部」の解説
1958年に、軍情報部(アマン)からスカウトを受ける。アマンはロッツのドイツ人の風貌とドイツ語の能力を買い、当時イスラエルとの対立の色を濃くしていたエジプトのガマール・アブドゥン=ナーセル大統領が率いる、ミサイルなどの新型兵器開発に携わっていたドイツ人科学者のグループに、「ドイツ人」として接触させることを考えていた。ロッツはこの申し出を受け、アマンに編入した。 6ヵ月間の工作員研修を受けた後、語学研修も受ける予定だったが、ロッツはすでにドイツ語、英語が完璧で、アラビア語もかなり理解していたので、語学研修は免除された。 1959年、カバー・ストーリーをつくるため西ドイツに移住、ドイツ国籍を申請した。ロッツのカバーは、「ナチス党員、ドイツ国防軍将校出身で北アフリカ戦線で従軍経験があり、11年間オーストラリアで馬の飼育人として働いたドイツ人ビジネスマン」だった。このカバーの作成にはベン・シェメンでの教育やイギリス軍でのドイツ軍捕虜尋問の経験が生かされた。 ドイツ国防軍将校出身としてのカバーは、反ユダヤと親独感情の高いエジプト軍将校や、ナチス時代への郷愁を持つドイツ人科学者に有利であった。
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