身売りから休刊へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 22:44 UTC 版)
「プレイガイドジャーナル」の記事における「身売りから休刊へ」の解説
経営的には慢性的赤字であったため、創刊編集長で社長の村元武が継続に熱意を失い、1984年11月から会社の身売り先を探し始める。当初、プガジャの文化事業に理解を示していた近鉄や大阪ガスなども売却先として浮上したものの、紆余曲折の末1985年9月にエイエヌオフセット(学生援護会の子会社の印刷会社。『プガジャ』の印刷を担当していた)がプレイガイドジャーナル社を買収し、同年11月号から新体制となった。1986年4月号からは雑誌名を『ぷがじゃ』に変更するなど誌勢維持と経営改善に努めるものの、経営サイドと小堀編集長との意見が対立し、1987年12月号の刊行をもって編集部員は一斉に退社。その後、雑誌は誌名を変えて翌年9月号まで刊行された。
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