赤川元種
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 元和10年1月12日[1](1624年3月1日) |
改名 | 赤川金鶴[1](幼名)→赤川元種 |
別名 | 通称:又七郎[1]→次左衛門尉(二左衛門尉)[1] |
官位 | 佐渡守[1](受領名) |
主君 | 毛利輝元→秀就 |
藩 | 萩藩(長州藩) |
氏族 | 桓武平氏良文流小早川氏庶流赤川氏[2] |
父母 | 父:赤川元之[1] |
兄弟 | 元種、女(岡景忠室)[3] |
子 | 元安[1] |
赤川 元種(あかがわ もとたね)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。毛利氏の家臣。萩藩(長州藩)士。父は赤川元之。
生涯
天正3年(1575年)12月21日、毛利輝元の加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられて赤川又七郎元種と名乗った[4]。
天正9年(1581年)4月17日、桂元盛や岡元良と共に毛利輝元から伊賀久隆の急死が事実であるか調べて報告するように命じられる[5]。
同年9月9日、小早川隆景が元種に書状を送って、重ねて在番を行う在所について相談し、たとえ今後望みを申す者がいたとしても同意しないので安心するように伝えている[6]。
同年9月20日、備前国の御津郡馬屋と津高郡において元種とその一所衆に与える知行の目録が小早川隆景、福原元俊、口羽春良、福原貞俊から送られており、元種には400貫を与える旨が記されている[注釈 1][7]。
天正10年(1582年)9月28日、毛利輝元は伊予国へ派遣する宍戸元秀への随行を元種に命じた[8]。
天正16年(1588年)1月4日、毛利輝元から「二左衛門尉」の官途名を与えられる[9]。
慶長10年(1605年)12月14日、同年の五郎太石事件の後に毛利家家臣団や寺社の総勢820名が連署して毛利家への忠誠や様々な取り決めを記した連署起請文において、244番目に「赤川次左衛門尉」と署名している[10]。
慶長16年(1611年)12月22日、毛利輝元から「佐渡守」の受領名を与えられる[11]。
慶長18年(1613年)4月29日に父・元之が死去したため、家督を相続する。
元和4年(1618年)12月16日、嫡男の元安に家督と周防国吉敷郡湯田村の103石3斗8升5合の知行地を譲ることを毛利輝元に認められ、隠居する[12]。
逸話
- 元種が幼名の「金鶴」を名乗っていた頃に毛利元就へ鯉1喉を贈り、元就は粟屋就方を通じて鯉を賞翫した旨を元種に伝えている[13]。
- 元種が「佐渡守」の受領名を名乗った慶長16年(1611年)以降に、音信として瓜1折を毛利輝元に贈っており、輝元は元種からの贈り物に喜んだ旨を井原元歳を通じて伝えている[14]。また、毛利秀就に春や新年の祝儀、快気祝いとして度々樽代を贈っている[15][16][17]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i 『閥閲録』巻107「赤川次郎左衛門」家譜。
- ^ 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 195.
- ^ 萩藩諸家系譜 1983, p. 576.
- ^ 『閥閲録』巻107「赤川次郎左衛門」第27号、天正3年(1575年)12月21日付け、赤川又七郎(元種)殿宛て、(毛利)輝元加冠状。
- ^ 『萩藩閥閲録遺漏』「赤川二郎左衛門」第29号、天正9年(1581年)比定4月17日付け、桂源右衛門(元盛)殿・岡惣左衛門(元良)殿・赤川又七郎(元種)殿宛て、(毛利)輝元書状。
- ^ 『萩藩閥閲録遺漏』「赤川二郎左衛門」第32号、天正9年(1581年)比定9月9日付け、赤川又七郎(元種)との宛て、(小早川)隆景・(福原)元俊・(口羽)春良・(福原)貞俊連署状。
- ^ a b 『萩藩閥閲録遺漏』「赤川二郎左衛門」第30号、天正9年(1581年)比定9月20日付け、(小早川)隆景・(福原)元俊・(口羽)春良・(福原)貞俊連署状。
- ^ 『萩藩閥閲録遺漏』「赤川二郎左衛門」第28号、天正10年(1582年)9月28日付け、赤川又七郎(元種)殿宛て、(毛利)輝元書状。
- ^ 『萩藩閥閲録遺漏』「赤川二郎左衛門」第26号、天正16年(1588年)1月4日付け、赤川又七郎(元種)殿宛て、(毛利)輝元官途状。
- ^ 『毛利家文書』第1284号、慶長10年(1605年)12月14日付け、福原広俊他819名連署起請文。
- ^ 『閥閲録』巻107「赤川次郎左衛門」第29号、慶長16年(1611年)12月22日付け、赤川次郎左衛門尉(元種)との宛て、毛利宗瑞(毛利輝元)官途状。
- ^ 『閥閲録』巻107「赤川次郎左衛門」第30号、元和4年(1618年)12月16日付け、赤川次郎左衛門尉(元安)との宛て、毛利宗瑞(毛利輝元)書状。
- ^ 『萩藩閥閲録遺漏』「赤川二郎左衛門」第3号、年不詳4月26日付け、赤川金鶴(元種)殿宛て、(毛利)元就書状。
- ^ 『萩藩閥閲録遺漏』「赤川二郎左衛門」第10号、年不詳6月22日付け、赤川佐渡守(元種)との宛て、宗瑞(毛利輝元)書状。
- ^ 『萩藩閥閲録遺漏』「赤川二郎左衛門」第12号、年不詳6月22日付け、赤川佐渡守(元種)との宛て、毛利秀就書状。
- ^ 『萩藩閥閲録遺漏』「赤川二郎左衛門」第13号、年不詳8月15日付け、赤川佐渡守(元種)との宛て、毛利秀就書状。
- ^ 『萩藩閥閲録遺漏』「赤川二郎左衛門」第34号、年不詳2月1日付け、赤川佐渡守(元種)との宛て、毛利秀就書状。
参考文献
- 東京帝国大学文学部史料編纂所 編『大日本古文書 家わけ第8-4 毛利家文書之四』東京帝国大学、1924年8月。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 防長新聞社山口支社編、三坂圭治監修『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。
OCLC 703821998。全国書誌番号:
73004060。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』琵琶書房、1983年8月。ASIN B000J785PQ。
NCID BN01905560。全国書誌番号:
84027305。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 山口県文書館編『萩藩閥閲録』巻107「赤川次郎左衛門」
国立国会図書館デジタルコレクション
- 山口県文書館編『萩藩閥閲録遺漏』「赤川二郎左衛門」
国立国会図書館デジタルコレクション
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