赤坂田町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:40 UTC 版)
「赤坂 (東京都港区)」の記事における「赤坂田町」の解説
赤坂田町は古くは湿地帯で、その後田畑が発達したことから田町と命名された。家康入府以来の功により南伝馬町の御馬役に大縄地として賜り、島原の乱の翌1638年に町屋を取り立て、城中の御能の拝見を許され、その際に酒菓を頂戴する特権も許された。1760年(宝暦10年)には紺屋の物干場が設けられ、1817年(文化10年)には床店が見られ、低廉客向けの岡場所も出来て人気を集めた。明治時代には1~4丁目(現:赤坂3丁目)は赤坂花柳界の中心地として賑わった。1966年に赤坂田町1~7丁目が赤坂1~3丁目に変更された。外堀通りとみすじ通りの間を平行に走る650mの通りは「赤坂田町通り」と旧町名を残して呼ばれ、繁華街として賑わっていたが、1970年代に高級料亭がなくなると荒れた雰囲気となり、暴力団が関係する風俗店や飲食店、韓国系のビル所有者やテナント料飲店が入居し、「ヤッカン通り」とも呼ばれるようになった。その後道路整備工事が行われ、現在は「エスプラナード赤坂通り」という商店街になっている。 1973年の赤坂見附立体交差点付近 永田町から赤坂見附立体交差を見る 一ツ木通り TBS放送センター
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