赤坂町編入の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 21:44 UTC 版)
「八幡村 (岐阜県揖斐郡)」の記事における「赤坂町編入の経緯」の解説
八幡村のうち、旧・市橋村は池田町合併派と赤坂町合併派の住民とで対立が発生する。これは市橋村が石灰の産地である金生山に接しており、経済的に赤坂町との関わりが強かったためである。 1954年(昭和29年)、八幡村は池田町、宮地村と合併後、速やかに市橋地区を分離し赤坂町に編入させることで話し合いがまとまる。ところが、この条項は合併合意書には記載されなかった。 1955年(昭和30年)4月1日、市橋地区の住民は、池田町との合併前に赤坂町への編入を決定事項とすることを陳情する。池田町はそれを受け、市橋地区の一部を赤坂町に編入を決める。当初、市橋地区のどの地域を赤坂町に編入するかは住民間の話し合いで行なわれることになったが、石灰の産出地などの経済面での対立が表面化する。 住民間の話し合いが不調となったため、境界線の問題は池田町町長に一任される。こうして新たな境界線が決定し、1956年(昭和31年)4月1日、市橋村の南部が赤坂町に編入となる。
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