資金供給の終り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 08:13 UTC 版)
AI研究に資金を供給していた機関(イギリス政府、DARPA、NRCなど)は、成果がないことに苛立ち、AI研究へのひもなしの資金供給がほぼ全て削減対象となった。最初の動きは1966年、機械翻訳の進展のなさを批判した ALPAC の報告書である。2000万ドルを注ぎ込んだ後、NRCは全サポートを終了させた。1973年、イギリスにおけるAI研究の現状を報告した Lighthill report では「壮大な目標」の達成には完全に失敗していることが批判され、イギリスでのAI研究の解体が始まった。この報告書ではAI研究失敗の原因として組合せ爆発問題を挙げている。DARPAはCMUでの音声認識プロジェクトの進展に失望し、毎年300万ドルの資金を停止した。1974年ごろにはAI研究への公的資金提供はほぼ見られなくなった。 ハンス・モラベックは同僚たちの非現実的な予測がこの危機の原因だとし、「多くの研究者が誇張を増大させるクモの巣に巻き込まれた」と述べている。しかし問題はそれだけではない。1969年、マイケル・マンスフィールドの改正案が可決され、DARPAは「方向を定めない基礎研究よりも方向を定めた任務的研究」に資金提供するよう圧力がかかった。60年代のDARPAからの自由奔放な研究への資金提供は継続できなくなった。その代わりに目標がはっきりしているプロジェクト、例えば自律式戦車や戦闘指揮システムなどといったものへ方向性が変化した。
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