買収国電の淘汰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 07:05 UTC 版)
各私鉄からの引継ぎ車はほとんどが小型低出力のもので、形態や制御方式も雑多なうえ、国鉄制式電車と比較しても見劣りのするものであった。戦時中こそ、輸送力確保のために第一線で使用されたが、国鉄制式の17 m車が63系電車の増備により、こうした地方電化ローカル線に転出するに及び、国鉄の規格から外れた買収国電は国鉄の標準機器に更新されたり、順次輸送力不足に悩む私鉄に譲渡されるなどした。こうして昭和30年代後半にはほとんどの買収国電が処分された。 その例外であったのは南海鉄道からの編入車(阪和形電車)で、これらは全鋼製車体と大出力主電動機を装備した、国鉄制式電車を凌駕する性能を持ち、1959年(昭和34年)12月には、国鉄制式の形式番号が与えられ、国鉄制式車に伍して1960年代後半まで旅客用に第一線で使用された。 旅客用から退いた後も、事業用(一部は営業用形式のまま事業用代用)として少数が使用され、特に救援車となったものは、国鉄最末期の1984年(昭和59年)まで国鉄に在籍した。
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