販売電力量第3位への浮上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 00:23 UTC 版)
「中部電力ミライズ」の記事における「販売電力量第3位への浮上」の解説
GHQは、1950年(昭和25年)10月、繊維産業に対する設備制限を撤廃した。これを受け、中部地方の主力産業であった繊維産業は、設備投資と増産に邁進した。中部地方の電力需要は急速に高まり、中部電力の販売電力量は、1951年(昭和26年)度の3,628百万kWhから、1955年(昭和30年)度の5,747百万kWhへと大きく増加した。中部電力の1951年(昭和26年)度から1955年(昭和30年)度までの販売電力量の平均増加率は、1年につき12.2%であり、9電力会社中首位であった。 一方、九州地方の主力産業であった石炭鉱業は、朝鮮特需の好況の後、一転して深刻な不況に陥った。1953年(昭和27年)と翌年には、炭鉱の休止・廃止が相次いだ。九州電力の販売電力量は、1951年(昭和26年)度の4,094百万kWhから、1955年(昭和30年)度の5,007百万kWhまで、平均すると1年につき5.2%増加するにとどまり、増加率は、9電力会社中最下位であった。 以上の結果、1954年(昭和29年)度の販売電力量は、中部電力が九州電力を初めて上回り、中部電力は業界第3位に浮上した。 @media all and (max-width:720px){body.skin-minerva .mw-parser-output div.mw-graph{min-width:auto!important;max-width:100%;overflow-x:auto;overflow-y:visible}}.mw-parser-output .mw-graph-img{width:inherit;height:inherit} 中部電力と九州電力の年度別販売電力量(1951年度~1955年度)
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