財政再建と「大契約」の挫折とは? わかりやすく解説

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財政再建と「大契約」の挫折

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 15:00 UTC 版)

ロバート・セシル (初代ソールズベリー伯)」の記事における「財政再建と「大契約」の挫折」の解説

1608年からは大蔵卿英語版)を兼務し、王庫を預かるようになった当時財政ジェームズ1世浪費もあって慢性的な破たん状態にあったため、ソールズベリー伯はまず既存財政基盤増収図った王領広範囲調査行い王領借地料収入を3倍以上にした。また各方面の強い反発押し切って関税輸入品目を増やしたこうした努力実って1608年時点100万ポンドあった負債1610年までに28ポンド減少した。しかし既存財政基盤増収だけではこれが限界であり、28ポンド負債将来発生する5万ポンド恒常的赤字埋めるのは困難であった。 そこでソールズベリー伯1610年2月召集され議会において「大契約」と呼ばれる財政提案行った。これは議会60ポンド一時金毎年20ポンド税収許可を出す事を条件国王徴発権など封建的税制廃止するという内容だった。封建制名残である国王大権に頼ることなく国民への恒常的課税制度財政中心にしようという近代的革新的政策であった。「大契約提出時の庶民院一時金金額20ポンド減額すれば応じるかのような譲歩姿勢見せていたが、一度庶民院閉会され、1610年11月再開された際の庶民院反応冷たく20ポンド減額され一時金案さえも否決した閉会中、庶民院議員たちはそれぞれの地元帰省していたが、そこで選挙区民から政府譲歩しないよう改めて釘を刺されていたためだった。 この失敗により国王信任失われていったが、国王内政外交知り尽くした政治家としてソールズベリー伯手放すことは最後までなかった。

※この「財政再建と「大契約」の挫折」の解説は、「ロバート・セシル (初代ソールズベリー伯)」の解説の一部です。
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