豊橋の映画の歴史
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「とよはしまちなかスロータウン映画祭」の記事における「豊橋の映画の歴史」の解説
詳細は「豊橋市の映画館」を参照 1901年には朝日座で豊橋初の活動写真の上映が成功。戦前には豊橋市中心部に8館の映画館が存在した。そのすべてが1945年6月の豊橋空襲で焼失したが、1946年から1947年には相次いで映画館が設立され、1957年の豊橋市には10館の映画館が存在した。1960年にはカラーテレビの放映が開始され、1960年代以降には映画館数が減少。1970年代中頃には、豊橋松竹会館ビル(4スクリーン)、豊橋東映劇場ビル(2スクリーン)、計2施設の計6スクリーンに集約された。 1990年代後半の豊橋市中心部には豊橋松竹映画劇場(ピカデリー)、スカラ座、豊橋東映劇場、豊橋銀座東映劇場(末期は成人映画館)の4館の映画館が存在したが、1999年に日本最大級のシネマコンプレックスであるユナイテッド・シネマ豊橋18が郊外のホリデイ・スクエアに開館すると、2000年には豊橋松竹と豊橋銀座東映が、2001年にはスカラ座と豊橋東映が相次いで閉館し、中心市街地から映画館が消滅した。
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