谷村藩の成立と鳥居氏時代とは? わかりやすく解説

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谷村藩の成立と鳥居氏時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/27 15:44 UTC 版)

谷村藩」の記事における「谷村藩の成立と鳥居氏時代」の解説

戦国時代郡内地方は、国中地方治め守護武田氏属した小山田氏領した小山田氏谷村現在の山梨県都留市中心部)に本拠定め中津森館や谷村館築いて城下町整備した郡内領は今川氏領国である駿河国後北条氏領国である相模国から武蔵国と駿接す要地として重要視されていた。 天正10年1582年)、織田信長甲州征伐によって武田氏滅亡し小山田氏滅ぼされた。武田氏遺領織田政権下で分割されるが、同年6月本能寺の変信長横死すると、遺領を巡る争奪天正壬午の乱)が起こる。甲斐徳川家康支配下となり、郡内領は徳川家家臣鳥居元忠与えられた。天正18年1590年)、豊臣秀吉小田原征伐によって後北条氏滅亡すると、家康関東移封され、甲斐豊臣秀勝加藤光泰浅野長政浅野幸長父子豊臣大名統治された。文禄3年1594年)には浅野氏によって谷村城築城されている。 慶長5年1600年)、関ヶ原の戦い浅野幸長家康率い東軍与して戦功挙げたため、紀伊国加増移封された。家康国中平岩親吉再配置すると同時に谷村には鳥居元忠三男鳥居成次1万8000石(のちに加増され35000石)を与えた慶長8年1603年)には家康八男五郎太徳川義直)が国元置かれたまま甲府城主になると、成次は附家老となる。五郎太慶長12年尾張国犬山封じられるが、成次は谷村に留まった。元和2年1616年)には第2代将軍徳川秀忠の子千代徳川忠長)が甲府城主となり、成次は朝倉宣正と共に附家老となる。元和4年1618年)に忠長甲斐与えられると、成次は家老となり、寛永元年1624年)に駿河国などで加増されて35000石を領する大名となった。成次は寛永8年1631年6月18日死去し、跡を長男鳥居忠房継いだが、忠長は兄の第3代将徳川家光との確執があったと言われ、翌寛永9年1632年)に乱行などを理由改易されると、忠房も連座により改易され、その身は山形藩鳥居忠恒預けられた。

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