読書人・数寄人
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平安朝の王朝文化に深い憧れを持ち、中でも『源氏物語』を好んだ。 鈴の蒐集家でもあり、駅鈴の複製品など珍しいものを多く所有していた。この駅鈴は、寛政7年(1795年)8月13日に浜田藩主・松平康定が宣長の源氏物語講釈を聴講するのに先立って、自筆色紙と共に贈ったものである。また、自宅に「鈴屋」という屋号もつけている。19歳の頃には架空都市「端原氏城下絵図」を描いた。 読書家であると同時に、書物の貸し借りや読み方にこだわりがあり、「借りた本を傷めるな」、「借りたらすぐ読んで早く返せ、けれど良い本は多くの人に読んで貰いたい」、などの考えを記している。 「法話聞書 赤穂義士伝」では、「大石良雄はいろいろのたわけを尽くし、天下の人に後ろ指をさされ笑われた」「大石良金はめかけの子」と義士を列記して毀損が綴られている。佐々木信綱により「赤穂記」の名で紹介され、宣長の手になる原本が残っている。しかし、赤穂義士が精神的支柱とした朱子学(支配者が己に都合よく作った忠義)を、さかしらの「からごころ」と批判する余り、ただの主観的な悪口になってしまっている。(なお前述の、宣長と昵懇だった松平康定は、義士の泉岳寺引き上げを妨害した浜田藩主・松平康宦の養曽孫)
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