詐欺の結末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 23:15 UTC 版)
バーナムが参入したことで、ハルたちの独占は崩れた。ハルは1871年に大都市ニューヨークでの興業を狙ったが、名うてのバーナムはハルたちの先手をうってブルックリンに乗り込んで話題を独り占めすると、自分の巨人こそが本物でありカーディフの巨人は偽物だと主張した。考古学者たちの指摘は無視したハルたちだったが、商売敵となったバーナムの指摘を許すことができなかった。ハルたちはバーナムに対し、興業の禁止と賠償を求めて訴訟を起こす。しかし法廷は巨人の真偽についてハル側が明らかにする必要があるとし、ハルの望んだ結論には至らなかった。また、その訴訟を取材した新聞記者が巨人の発見前後のハルの行動を綿密に調べ、やがてアイオワで石膏を購入した事実と加工を担当した石工の1人サールを見つけ出した。サールは洗いざらい全てを告白し、これよりハルも観念した。1871年12月10日、ハルは彫像の偽造を認め、これが報道されたことにより巨人騒ぎはひとまず終息する。しかし、「コロラドの巨人」はバーナム博物館のレパートリーとして、その後も展示され続けた。
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