許崇灝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:16 UTC 版)
許 崇灝(きょ すうこう)は、中華民国の軍人・政治家。革命派軍人として孫文(孫中山)を支持して戦い、国民政府成立前後からは政治家に転じた。字は公武。中山大学校長などをつとめた教育者許崇清の兄で、中国国民党の元老許崇智の従兄[2]である。
- ^ 徐主編(2007)、1685頁による。一方、劉国銘主編(2005)、582頁は1883年(光緒9年)、東亜問題調査会編(1941)、42頁は1885年生まれとしている。
- ^ 東亜問題調査会編(1941)、42頁は、許崇智を1883年生まれ(通説は1887年生まれ)と記述していることから許崇灝をその「従弟」とみなしているが、これは誤りと思われる。
- ^ 東亜問題調査会編(1941)、42頁は、その後に日本へ留学して陸軍歩兵学校で学んだ、としている。しかし陸軍歩兵学校の創設は1912年(大正元年)であり、明らかに記述が誤っている。
- ^ a b 徐主編(2007)、1685頁
- ^ a b c d 劉国銘主編(2005)、582頁
- ^ 徐主編(2007)、1685-1686頁
- ^ 徐主編(2007)、1686頁
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