設立時の事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 17:07 UTC 版)
「第七高等学校造士館 (旧制)」の記事における「設立時の事情」の解説
七高造士館設立前に存在した鹿児島高等中学造士館は、1886年 - 1887年に全国で設立された7校の高等中学校のうちの最後の学校で、山口と同じくナンバーのつかない例外的存在であった。この学校の設立の背景には、旧藩主家である島津家(校名中に「造士館」の称を留めることを強く希望した)や同郷出身の人材を優先的に育成したいという薩摩閥政治家の意向があったといわれ、初代校長には旧藩主(忠義)の弟・島津珍彦が就任した。七高設立においては新潟と長野との間の新設高校争奪戦もあったなかで鹿児島での設置が実現しており、設立時には島津家当主の忠重から多額の寄附がなされた(旧制高等学校におけるナンバースクールの最後は1908年設立の第八高等学校;現名古屋大学)。
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