記紀時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 18:43 UTC 版)
「日本における女性の合戦参加の年表」の記事における「記紀時代」の解説
のちの神武天皇が神武東征の際、戊午の年9月5日において、女軍(めのいくさ)を女坂に置き、11月7日に女軍を進ませ、敵軍は大兵が来たと思って、尽力して、これと交戦(『日本書紀』戊午の年、9月5日条、11月7日条)。官軍が女性部隊を用いた記述だが、神代に当たる。 景行天皇が肥前国巡幸時、嬢子山に土蜘蛛八十女人(大勢の女性首長)が住んでいたが、天皇に従わず抵抗したため、派兵して滅ぼした(『肥前国風土記』)。 仲哀天皇9年: 7月20日、神功皇后は兵をあげ、荷持田村(のとりたのふれ)の翼人・羽白熊鷲(はしろくまわし)を層増岐野(そそきの)にて征伐する。同25日、山門県の土蜘蛛、田油津媛を征伐。同年10月3日、三韓征伐のため朝鮮半島へ出航、新羅は戦わずして降伏。 神功皇后1年: 2月、神功皇后、反乱を起こした忍熊皇子に対するため、紀伊国に上陸、小竹宮に移る。3月5日、武内宿禰と武振熊に命じて忍熊皇子を討たせる。
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