解党、分裂へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 00:03 UTC 版)
総選挙後、羽田・細川護煕らの離党や自民党による引き抜き工作により求心力を失いつつあった小沢執行部は、自民党との大連立構想、いわゆる保保連合構想を模索し、自民党内で自社さ派の加藤紘一・野中広務に対抗する保保派の梶山静六・亀井静香との関係強化を図った。しかしこれに対し、自民党に取り込まれると党内から反対論が吹き出し、小沢の求心力をさらに失わせる結果となった。 1997年(平成9年)11月、旧公明党のうち新進党に合流していない参議院議員・地方議員を中心とする政党・公明が合流を取りやめ、翌年夏の第18回参議院選挙に独自で臨むことを決定した。 同年12月、小沢の任期満了に伴う党首選は小沢と鹿野道彦元農水相の一騎討ちとなり、小沢が再選した。小沢は純化路線に進むことを決断し、同月27日に両院議員総会を開いて新進党の分党と新党の結成を宣言した。これによって新進党は消滅し6党に分裂した。 分裂した6党 自由党 - 保守系・小沢グループ 国民の声 - 保守系・反小沢グループ 改革クラブ - 保守系・中間若手グループ 新党平和 - 旧公明党・衆議院グループ 黎明クラブ - 旧公明党・参議院グループ 新党友愛 - 旧民社党グループ
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