西都市立銀鏡中学校
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西都市立銀鏡中学校 | |
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北緯32度15分41秒 東経131度15分9.3秒 / 北緯32.26139度 東経131.252583度座標: 北緯32度15分41秒 東経131度15分9.3秒 / 北緯32.26139度 東経131.252583度 | |
過去の名称 | 東米良村立銀鏡中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 西都市 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月30日 |
閉校年月日 | 2012年(平成24年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C145220845094 |
所在地 | 〒881-1232 |
宮崎県西都市大字銀鏡466番地
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外部リンク | 公式サイト |
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西都市立銀鏡中学校(さいとしりつ しろみちゅうがっこう)は、かつて宮崎県西都市大字銀鏡にあった公立の中学校。
2012年(平成24年)4月には校区内の西都市立銀上小学校との統合により、施設一体型の小中一貫校「西都市立銀上小・銀鏡中学校」(愛称:「西都銀上学園」)としてスタートした。なお、中学校の校舎を改築し、小学校が移転してきている。
概要
- 歴史
- 1947年(昭和22年)の学制改革で、新制中学校として創立。
- 校章
- 校名の「鏡」にちなみ、八稜鏡を背景にして、中央に「中」の文字を配している。
- 校歌
- 1961年(昭和36年)制定。作詞は松山文二、作曲は安藤郁夫による。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
- 特色
- 宮崎県内の中学校で唯一、山村留学制度を導入している。
- 生徒数
- 16名(2012年度(平成24年度))
- 通学区域
- 以下の区域が指定されている[1]。
沿革
- 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 1954年(昭和29年)6月 - 中尾分校の新校舎が完成。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 西都市との合併により、「西都市立銀鏡中学校」に改称。
- 1967年(昭和42年)3月31日 - 中尾分校が西都市立東陵中学校[2]への統合により、廃校。
- 1958年(昭和33年)7月 - 校旗を制定。
- 1961年(昭和36年)9月10日 - 校歌を制定。
- 1969年(昭和44年)2月 - 現在地に鉄筋コンクリート造の新校舎が完成し、移転を完了。
- 1972年(昭和47年)12月 - 体育館が完成。
- 1977年(昭和52年)
- 3月 - 格技場が完成。
- 11月15日 - 完全給食を開始。
- 1997年(平成9年)2月15日 - 創立50周年記念式典を挙行。
- 2000年(平成12年)9月 - 給食調理場を東米良共同調理場に移設。
- 2006年(平成18年)3月 - 校舎裏の池と盛り土を撤去。
- 1995年(平成7年)4月1日 - 山村留学制度を導入。
- 2012年(平成24年)4月1日 - 西都市立銀上小学校と統合の上、施設一体型小中一貫校「西都市立銀上小・銀鏡中学校」(西都銀上学園)となる[3]。
部活動
著名な出身者
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交通アクセス
- 最寄りのバス停留所
- 西都市コミュニティ・バス「銀鏡診療所」停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
- 銀鏡地区集会所
- 銀鏡郵便局
- 西都警察署 銀鏡警察官駐在所
- JAみやざき 東米良
- 東米良 山の駅 銀鏡
- 銀鏡城跡
- 銀鏡神社
- 銀鏡川
- 登内川
脚注
- ^ 西都市立小中学校の通学区域に関する規則別表
- ^ 東陵中学校は1987年3月31日に西都市立穂北中学校に統合。沿革に関しては西都市立穂北中学校#沿革を参照。
- ^ 学校の紹介 西都市立銀上小学校・銀鏡中学校、2021年3月16日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 西都市立銀鏡中学校のページへのリンク