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西藤金作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/15 09:44 UTC 版)

西藤 金作
生誕 1889年9月14日
日本 神奈川県
死没 (1976-07-14) 1976年7月14日(86歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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西藤 金作(にしふじ きんさく、1889年明治22年)9月14日[1] - 1976年昭和51年)7月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

神奈川県出身[1]陸軍士官学校第23期卒業[1]1920年(大正9年)9月、陸軍輜重兵大尉に進級し[2]陸軍自動車学校副官を経て[2]1926年(大正15年)8月に朝鮮軍司令部附となった[3]1927年(昭和2年)12月、陸軍輜重兵少佐進級と同時に輜重兵第6大隊附となり[4]1929年(昭和4年)8月に陸軍士官学校附兼陸軍将校生徒試験常置委員に転じ[5][6]1933年(昭和8年)8月に陸軍輜重兵中佐進級と同時に輜重兵第1大隊附となり[7]1936年(昭和11年)12月に輜重兵第8連隊長(関東軍第3軍第8師団[8][9][10])に就任した[11]1938年(昭和13年)3月には陸軍輜重兵大佐進級と同時に輜重兵第19連隊長(朝鮮軍・第19師団[12][13][14])に転じ[11]1940年(昭和15年)8月に第11軍野戦自動車廠長に就任して日中戦争に出動した[1][11]

1942年(昭和17年)8月1日、陸軍少将進級と同時に第6野戦輸送司令官(関東軍・第3軍)に着任し[1][11]1944年(昭和19年)12月に東部軍司令部附[1]1945年(昭和20年)2月1日東部軍管区司令部附となり終戦を迎えた[15]

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[16]

脚注

参考文献

  • 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 ISBN 4829500026 



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