西洋都市への憎悪の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 07:05 UTC 版)
「オクシデンタリズム」の記事における「西洋都市への憎悪の起源」の解説
いつ頃から貪欲・不信心・根無しのコスモポリタニズムといった「邪悪」が、都市や西洋と結びつけられたのかは一考に値する。そもそも多様な人種の暮らす都市は、欧米特有ではなかった。ムスリムは伝統的に大都会を敵と見なさず、それどころか初期のイスラムでは、都市生活は遊牧生活の無知から人々を救うものとして推奨されている。何世紀もの間、バグダッドやコンスタンティノープルは貿易・学問・娯楽の中心地だった。もっと東では、北京の富と絢爛が13世紀ヴェネツィアからやって来た商人の目を眩ませた。当時の洗練された中国文明に比べれば、17世紀アムステルダムの豊かさも地方都市レベルに過ぎず、そして19世紀後半まで、江戸はどのヨーロッパ都市よりも大きく、高い人口密度を有していた。それでも、現代のバビロン的大都会のイメージは、西洋と強く結び付いている。それは、最初のオクシデンタリストたちがヨーロッパ人だからである。
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