西成線列車脱線火災事故
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 04:37 UTC 版)
西成線列車脱線火災事故(にしなりせんれっしゃだっせんかさいじこ)は、1940年(昭和15年)1月29日に大阪府大阪市此花区の鉄道省西成線(現在の西日本旅客鉄道桜島線)安治川口駅構内において発生した列車脱線転覆火災事故である。
注釈
- ^ 事故車はその車両番号から「死に頃」「死に丸殺し」と呼ばれた[3]。
- ^ 1944年12月に起きた沖縄県営鉄道輸送弾薬爆発事故の死者数は約220名で、この事故を上回るが、戦時中に起きた事故のため、報道されず、現在も不明な点も多い。
- ^ 事故車両となったキハ42000形は当時の国鉄旅客車には珍しく鋼板張り屋根を用いていたため、横転した車両の屋根に穴を開ける救出方法が採れず、これも犠牲者を増やす要因となった。
- ^ この装置は大正時代には実用化され、主要路線には導入されていた。
- ^ 刑法第11章「往来を妨害する罪」には「 汽車又ハ電車ヲ・・・」とあり、ガソリンカーや気動車についての規定はないが、前年に起きた中勢鉄道のガソリンカー転覆事故について大審院(現在の最高裁)は、「立法趣旨に鑑みて本質的にガソリンカーも汽車に含まれる」と判断し、1940年(昭和15年)8月22日に有罪判決を下している(中勢鉄道青谷車両脱線事故)。
- ^ 裁判の判決では犠牲者は「193名」とされているが、訂正されず誤りのまま確定している。
出典
- 1 西成線列車脱線火災事故とは
- 2 西成線列車脱線火災事故の概要
- 3 事故の概要
- 4 事故原因
- 5 事故後の経過
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