西律とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 西律の意味・解説 

西律

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/08 00:48 UTC 版)

西 律(にし りつ、1909年明治42年〉8月20日 - 1983年昭和58年〉4月30日)は和歌山県の政治家・郷土史家。和歌山県東牟婁郡四村の村長、本宮町町議会議員をつとめた。政治家の職を退いた後、熊野九十九王子の調査に従事した。


  1. ^ 以下、本節での西の生涯については、浅里[2010]に従った。
  2. ^ 辻本[1987: 174]
  3. ^ 西[1987]
  4. ^ 小山 靖憲、2000、『熊野古道』、岩波書店〈岩波新書〉 ISBN 4004306655、pp.99-100。
  5. ^ 浅里[2011: 14-15]
  6. ^ a b 浅里[2011: 17]
  7. ^ 西[1987: 3-4]
  8. ^ 浅里[2011: 17]、辻本[1987: 175]
  9. ^ a b c 浅里[2011: 18]
  10. ^ a b 熊野路編さん委員会[1973: 119]
  11. ^ 浅里[2011: 15]
  12. ^ 北緯33度50分25秒 東経135度40分31秒 / 北緯33.8403度 東経135.6754度 / 33.8403; 135.6754 (岩上峠・熊瀬川周辺)。地図中「熊瀬川」とあるのは、西の考定によれば「栃の河」であり、本来の熊瀬川は一本西よりの国道311号線沿いの無記名の川である[西 1987: 40-41]。
  13. ^ 浅里[2011: 15]
  14. ^ 西[1987: 39-40]
  15. ^ 西[1987: 41-42]
  16. ^ 西[1987: 43]
  17. ^ 浅里[2011: 19-20]
  18. ^ a b 寺西[2005: 102]
  19. ^ 浅里[2011: 15、20-21]
  20. ^ 浅里[2011: 15-16]
  21. ^ 西の所説のうちいくつか、例えば川辺王子の比定地を、中世史家の小山靖憲は、多くの参詣記と整合性を欠くとし、別の場所を比定地とした(小山 靖憲、1988、「熊野詣古記録と参詣道に関する覚書」、安藤 精一(編)『紀州史研究3』、国書刊行会)。しかし、こうした批判もまた、西の業績を前提としてはじめて成り立つものである(寺西[2005: 106])。


「西律」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西律」の関連用語

西律のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西律のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの西律 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS