井関王子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 19:05 UTC 版)
「九十九王子 (広川町)」の記事における「井関王子」の解説
久米崎王子から広川に沿って南下し、広川東岸の湯浅御坊道路料金所のかたわらに井関王子(いせきおうじ)の跡地がある。「熊野道之間愚記」(『明月記』所収)建仁元年(1201年)10月10日条に「次参井関王子、於此所雨漸休」とあり、参詣の後、雨を避けて休息をとったとある。 江戸時代後期紀州藩が編纂した地誌『紀伊続風土記』には、社地は村の北の入口にあり、周囲82間であったと伝え、続けて、社地の字にちなんで「津兼王子」と呼ばれていると述べており、他に『紀伊名所図会』にも同様の記述が見られる。これは当地に井関王子以外にも津兼王子があったとする伝承があり、この2社の異同に関する異説があったことによるものである。『紀伊続風土記』や『紀伊名所図会』は両社が同一説を採るが、2社が別々の社であったとする説もある。後者の説によれば、井関王子址の東300メートルの地が津兼王子址であり、街道筋が西よりに付け替えられたことにより、井関王子が成立したのだという。 明治期に井関の稲荷明神社祭礼の際の御旅所とされ、村有の耕作地を社地の一部に取り込んで拡張したが、1909年(明治42年)に稲荷明神社とともに上津木八幡神社に合祀された。西律が1971年(昭和46年)に調査した際には、陶製の小さな祠がミカン畑のなかにあったが、湯浅御坊道路の工事で社地は完全に失われた。 所在地 - 和歌山県有田郡広川町3113-1
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