久米崎王子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 19:07 UTC 版)
「九十九王子 (湯浅町)」の記事における「久米崎王子」の解説
逆川王子から南へ進んで湯浅市街地に入り、紀勢本線の線路を東に越えたところが久米崎王子(くめさきおうじ)の跡地である。「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月10日条に登場し、参詣道より離れた場所にあったため、路傍の木に向かって拝したと記され、『民経記』承元4年(1210 年)4月26日条にも「久米崎」なる王子があったと見える。しかし、その後荒廃したものと見られ、嘉禎2年(1236年)7月24日付で鎌倉幕府は湯浅太郎に修復の命令を出しており、そのなかで「紀伊国湯浅庄久米崎王子社、破壊跡無云々」と述べられている(『関東御教書』)ほか、近世になってからも紀州藩主徳川頼宣も跡地に小社を造営して復興につとめた(『紀伊国続風土記』)。1907年(明治40年)、近隣の顕国神社に合祀された。県指定史跡(1959年〈昭和34年〉1月8日指定)。 所在地 和歌山県有田郡湯浅町別所322
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