裳唐衣装束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 21:03 UTC 版)
女子の正装は十二単と通称される裳唐衣装束で、唐衣、裳、表着(うわぎ)、打衣(うちぎぬ)、袿(うちき)、単、緋袴(ひのはかま)を着した。裳はスカートの後半分だけが残ったような形の装飾的な衣装である。袿は5枚ほどを重ね着し、五衣(いつつぎぬ)ともいった。略装では唐衣と裳を略し、代わりに小袿や細長を着た。このような重ね着では、一番上に着るもの以外の衣服は、袖口、襟元、裾などのごく一部が見えるだけであった。重ねて着たときに、内側の着衣の色が裾などから見えるようにするため、体に近い内側に着る衣服をもっとも長く仕立て、その上に重ねる衣服は少しずつ仕立てを短くし、こうして、それぞれの着衣の色の重なり合いを見せるようにした。以上のような衣装の平安時代の実物は残っておらず、『源氏物語』などの文学作品や、『源氏物語絵巻』、『扇面法華経冊子』の下絵などの絵画資料から窺うほかない。 平安時代の高貴な女性は、みだりに人前に素顔をさらすことはなく、男性は御簾の裾などからわずかに覗く女性の着衣の色から、女性の趣味や人柄を推し量った。このような状況であったから、この時代の染織は織物が主体となり、前代にみられたような華麗な文様染めは衰退した。三纈のうちの臈纈と夾纈の技法は全く廃れて、纐纈(絞り染)技法がわずかに存続するのみとなった。
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