裁判、有罪判決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/13 15:29 UTC 版)
「ジョージ・トロフィモフ」の記事における「裁判、有罪判決」の解説
2001年6月4日、タンパのサム・E・ギボンズ裁判所にてジョージ・トロフィモフ大佐の裁判が開廷した。 フロリダ州南部区の連邦検事補ドナ・ブッシェラ(Donna Bucella)は、トロフィモフがJICにて事実上全ての機密文書を閲覧しうるクリアランスを有していたことに触れ、そうした要因を考慮することにより、彼が行ったとされるスパイ活動の被害推定は深刻化したと述べた。 検察側証人として招かれたのは、KGB対外防諜部門の責任者だったオレグ・カルーギン(英語版)元少将である。カルーギンは「侯爵」の名を知っているかと問われると、「ええ、もちろん。彼の名はジョージ・トロフィモフです」と明確に答え、さらにオーストリアで彼と会談したこともあると主張した。 別の証人として、かつてKGBのスパイとして活動していたクレイトン・ローンツリー(英語版)元米海兵隊軍曹も招かれた。ローンツリーは自らのスパイとしての経験と、KGBによる協力者募集の手法について証言した。 2001年6月26日、フロリダ州タンパの連邦陪審はトロフィモフのスパイ活動について有罪判決を下した。陪審長マーク・キング(Mark King)は、仮にトロフィモフが潔白であるなら「ガルキン」に接触された時点でFBIに通報していただろうとコメントした。また、トロフィモフの態度についても「頻繁に嘘を付いているようだった。彼の話は食い違っていた」と述べている。 弁護側は情状酌量を求めたが、トロフィモフには終身刑が言い渡された。 トロフィモフは連邦刑務所に収監された後も無罪を主張し続けていた。彼は自らが「常に忠実だった陸軍将校」であり、「46年半ないし47年間を祖国に捧げた愛国者」であると主張した。また、ドロージンスキ捜査官に対して行ったスパイ活動に関連する告白も撤回し、ロシア正教会から資金提供を受けるためにスパイになったことだけを認めるとした。トロフィモフはドロージンスキもまた同じ苦境に立たされたなら、同じ方法を選ぶと信じていると語った。
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