行楽客輸送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 07:16 UTC 版)
当初ふるわなかった旅客輸送であるが、多摩地区には日帰り行楽客がみられるようになった。1935年(昭和10年)にオリンピックの東京開催が決定すると多摩の各地で選手村、競技場、練習場誘致運動が活発化し、外国人観光客目当てで多摩の景勝地にハイキングコースが新設された。また東京市がハイキングコースを選定し(東京市選定市民健康路)青梅電気鉄道御嶽駅、五日市鉄道武蔵五日市駅を起終点としたコースが設定された。西多摩を訪れるハイキング客は急増し1937-38年にはピークとなった。このころ100人乗りのガソリンカーを新製しさらに東京横浜電鉄から120人乗りガソリンカーを購入している。1940年(昭和15年)の運行状況は1日16往復(内10往復が武蔵五日市駅止まり)であった。
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