衆議院議員初当選後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 16:40 UTC 版)
2000年の第42回衆議院議員総選挙に比例近畿ブロック単独で自由党から立候補。比例近畿ブロックにおける自由党の獲得議席数は3だったが、比例名簿上位の豊田潤多郎の小選挙区での得票数が有効投票総数の10%を下回り供託金を没収されたため比例復活の権利を失い、中塚が初当選した。その後は自由党で財務金融部会長などを務める。 2003年9月、民由合併により自由党は民主党に合流する。第43回衆議院議員総選挙では神奈川12区に鞍替えし、同区から民主党公認で立候補。自民党の桜井郁三を破り、当選した。2003年12月、民主党代表・菅直人の「次の内閣」で経済財政・金融担当の総括副大臣に就任。2005年の郵政国会による第44回衆議院議員総選挙(いわゆる郵政解散)では前回破った桜井に敗れ、比例復活もならず落選する。なおこの選挙では、自民党に強い追い風が吹き、その煽りを受けて民主党は神奈川県の全選挙区で公認候補が小選挙区で落選した。2009年の第45回衆議院議員総選挙では神奈川12区で当選し、国政に復帰した。2010年6月、民主党総務委員長代理(調査担当)や財務部門会議座長に就任。同年9月、衆議院決算行政監視委員会理事に就任する。
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