蠅に蠅がまつわる明るさ休暇とろう
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
夏 |
出 典 |
風の背中 |
前 書 |
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評 言 |
昭和30年代の初め、秋田から上京した鈴木勁草は、フリーターを経験した後難関を突破してようやくNHKに職を得る。ここでも日々俳句を語ることは怠らず、池袋の自宅木造アパートに、大道具係や効果部に働く若者たちを集めてはたびたび句会を開いた。 一方で「季節」の金尾梅の門に師事。大須賀乙字の流れをくむ北陸出身の抒情派俳人に愛された勁草は、新人賞、主宰賞、結社賞を次々に受賞するのだが、その作品表現は激しく、静かで美しい言葉遣いが主流の結社内では異質な存在であった。 川に蒲団投げこまれ蒲団突っ立ちぬ よく焼けし母を箸たててつかむ 黄を塗ったくる花菜がどんどん燃える 露の虫らいっせいに崖噛みちぎる 凶作田泥をひきずりまわして刈る 灼けつきて目玉が前へ前へゆく 首ッ吊りなくて大冬木かなしからむ そんな雰囲気にあき足らず、昭和47年に自らが中心となって仲間数人と同人誌「礁」を立ち上げる。平成12年に勁草が病に倒れるまで28年余りこれを続けていくのだが、思い通り俳壇に楔を打ち込むためには、この集団の力はあまりにもひ弱だった。 当時、蚤や虱などの昆虫はさすがに姿を消していたが、蠅や蚊はまだ大手を振っていて、鮮魚店などでは天井から蠅取りリボンを何本も吊るし、柄の長い団扇を使って蠅を追い払っていた。ようやくに得たわずかな安堵感は、飛び回っている蠅たちさえも仲間にしてしまうのである。 |
評 者 |
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備 考 |
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