藤井 恒とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤井 恒の意味・解説 

藤井恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/18 08:55 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

藤井 恒(ふじい ひさし、1959年 - )は、日本の生物学者。理学博士京都大学)。NPO法人日本チョウ類保全協会設立代表者[1]

経歴

広島県生まれ。広島県立広島国泰寺高等学校を卒業、弘前大学理学部生物学科に進学[2]、卒業後、京都大学大学院日高敏隆の研究室にて理学博士[2][3]

人物・業績

人物

子供の頃からの昆虫好きであり、中学3年生にして、広島虫の会、日本鱗翅学会、日本昆虫学会に入会。弘前大学の学生のとき『広島県のチョウ』に自身が撮影してきた蝶の写真を掲載[2][4]。結果、専門となったのは生物学、後述、学術上の業績はこちらにあるが、写真も趣味であり、趣味の写真が専門に生かされた。

また子供の頃から音楽好きで、ピアノ独学し、大学(学部)時代は混声合唱団に参加、演奏会やコンクールなどに出演した。学部卒業後は音楽活動を休止して研究活動、大学の非常勤講師、予備校の講師などをしていたが、2007年フルートを習い始めたのをきっかけにして音楽活動を再開、2017年12月2日には西宮市の甲東ホールで東日本大震災/熊本地震支援チャリティコンサートを開催している。2017年現在、音楽活動を主としている[2][5]

業績

日本昆虫学会が昆虫類の多様性保護のための重要保護地域と指定しているうちの、兵庫県大阪府の境にある三草山のゼフィルス(樹上性のシジミチョウの一群のことであり、日本には25種が生息する。)等の生息状況調査結果により、日本で初めて里山林の保全を行うため、ゼフィルス類を象徴的なグループとして取り上げさせることに成功した[6][7]

著書

  • 『モンシロチョウはなにがすき? (かがくのとも特製版)』 福音館書店 1988年4月。
  • 『大学入試センター試験生物IB (実況中継シリーズ)』 語学春秋社 1997年12月。
  • 『Focus生物1B (センター試験get 85)』 水王舎 2002年8月。
  • 『高校の生物が根本からわかる本 細胞・代謝・発生・遺伝編 (社会人・大学生のための理数系再入門テキスト) 』 中経出版 2008年2月1日。

脚注・引用

[脚注の使い方]
  1. ^ 設立趣旨書”. 特定非営利活動法人 日本チョウ類保全協会. 2017年12月2日閲覧。
  2. ^ a b c d ヒト Homo sapiens L.”. 藤井 恒. 2017年12月2日閲覧。
  3. ^ 日高 敏隆 監修・藤井 恒・海野 和男・今森 光彦 佐藤史生『フィールド図鑑 チョウ』東海大学出版会、1984年1月1日。ISBN 978-4486008040
  4. ^ 広島虫の会 編『広島県のチョウ』中国新聞社、1982年9月。ASIN B000J7HWLYこの中で6枚が本人撮影と確認される。
  5. ^ @my_flute”. 藤井 恒. 2017年12月2日閲覧。2017年11月29日の本人のツイート。
  6. ^ 「やどりが」156号,「1993年度・三草山のゼフィルス等の生息状況調査報告」日本鱗翅学会 藤井 恒,1994年,p38-39。
  7. ^ 『昆虫類の多様性保護のための重要保護地域 第1集』巣瀬司・広渡俊哉・大原昌宏編, 日本昆虫学会自然保護委員会, 2000年12月31日,p68-69。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤井 恒」の関連用語

藤井 恒のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤井 恒のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤井恒 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS