藤井忠兵衛とは? わかりやすく解説

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藤井忠兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/25 09:08 UTC 版)

藤井 忠兵衛(ふじい ちゅうべえ、1871年1月26日明治3年12月6日[1] - 1945年昭和20年)8月27日[2])は、日本政治家衆議院議員(1期)。

経歴

兵庫県出身[2]中等教育を修め、酒造業を営む。多可郡中村議、同村長、多可郡議、兵庫県議、同参事会員、同副議長、所得税調査委員、同審査委員、地方森林会議員、多可銀行取締役頭取、播但鉄道(株)取締役となる[2]

1924年第15回衆議院議員総選挙において兵庫9区から無所属で立候補して当選した[3]。のち立憲政友会に入り、衆議院議員を1期務めた。1928年第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。頭取を務めた多可銀行は破綻に至るが、その原因の不正に関わったことで1931年7月11日、姫路支部裁判所で藤井は懲役2年の実刑判決、1932年10月末の大阪控訴院で控訴棄却、1933年4月27日、大審院は上告棄却し判決確定、服役となった[4]。これにより勲六等及び大礼記念章(昭和)を褫奪された[5]。1945年死去。

脚注

  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、6頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』552頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』75頁。
  4. ^ 銀行犯罪史 pp.202-203 銀行問題研究会 1936年
  5. ^ 官報 1933年4月10日 二四八頁

参考文献

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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