著しい蛇行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:35 UTC 版)
現在も残る蛇行した流路は、かつて更に入り組んだものだったが、江戸時代の佐賀藩政の下で行われたいくつかの捷水路工事により短絡されている。八町(八丁)の捷水路は天和年間(1681 - 1683年)に行われた記録がある。南部長恒の『疏導要書』(天保5年=1834年刊)には、3か所あった大曲りの江筋(蛇行)のうち八町の約一里半(約6km)に亘る江筋を堀り切って直江にしたため”潮持ちが少なくなり”(潮が上らなくなり)、以前は高橋宿の一里上まで船の往来があったものが大潮でも高橋宿まで船が来られなくなったと記されている。江戸期の間に、蛇行を容認し上流から湛水しながら少しずつ流すとともに舟運の利を採るという考え方から、流れを速めて洪水をできるだけ減らす考え方への転換が起きていたとの見方がある。なお、同書に記されたあと2か所(今泉、下蓑具)の大きな蛇行は現在も残っている。 蛇行の大幅な是正が行われない理由としては、本川のような超低勾配で感潮する河川では直線化しても流下能力の大幅な上昇は見込めず、大きな事業費の割に効果が見込めないことが挙げられている。 2020年策定の整備計画では、白石町大渡で延長約2kmある北側への蛇行部を増水時に短絡する分水路の計画がある。
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