華麗な男性遍歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 14:39 UTC 版)
コーラは、オラニエ公ウィレム(en、オランダ王ウィレム3世の王太子)、アシル・ミュラ(ジョアシャン・ミュラの孫)など、上流階級の錚々たる面々の愛人となった。ミュラ公は彼女に馬をプレゼントし続けた。彼女の自慢の厩舎には1863年から68年まで、乗馬用・馬車用をあわせて60頭以上の馬がおり、英国人の厩務員を大勢雇って、すべての職員に黄色の制服を着用させたという。その後、戦争に突入すると厩舎を病院に改築したといわれている。 彼女と関係を結んだ男達の中でも「背が高くハンサムな方の皇帝」と史家に書かれるほどの色男モルニ公(皇帝ナポレオン3世の異父弟)は、飽くことなき色欲・物欲を持つ彼女にとって、最も知的かつ高貴な愛人だった。1864年、彼女は皇弟の愛人という重要な地位に見合うように、オルレアン郊外のロワレ川に立つボーゼジュール館を与えられ、そこでささやかな幸運の日々を送る。しかしモルニ公は1865年に早世してしまう。臨終に立ち会った友人は、後難を恐れてコーラから公爵に宛てたラブレターをすべてトイレに流したという)。 だがその数年後には、コーラはナポレオン公(皇帝ナポレオン3世の従兄弟。通称プロン・プロン)の愛人となっていた。公はコーラのために、パリにさらに2軒の家を建ててやり、第二帝政崩壊後の1874年まで財政的な補助をしている。彼女はナポレオン公から月額12,000フランを支給されたうえ、シェロー街101番地の邸宅は宮殿のようであり「プチ・テュイルリー」とまで呼ばれたという。ナポレオン公がプレゼントした荷馬車一杯の蘭の花をすべて床にぶちまけ、水夫の服装に着替えて蘭を踏みつけながらダンスを踊ったという逸話も残る。
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